今日の会社帰り、なんだか急に思い耽りたくなって
途中の駅で降りて、約30分掛けて歩いて帰った。
いつも悩むことがあると、タバコを吸いながら
夜空を見上げ、星に相談する
メルヘンチックでキモいが
そうやって無理やり自分ひとりで浸れる時間を作る。
そうするとなんだか解決策が湧き出てくるのだ。
果たして今自分が思い、行動していることは正しいのだろうか。
何かの折にいつも自分自身に問いかける。
これは多分小中学校時代に、学級委員や各種委員会の委員長をやっているときから
ずっと思っていることだと感じた。
当時はもう少し小さな話題だったが、皆を奮い立たせ、何かを変えるために必死だったのは間違いない。
実はそんな時代からずっと引きずっていることに気が付いた。
自信って、そうやって悩んだ挙句出した答えに皆が賛同してくれて、
成功したときについてくる物だと思う。
失敗は成功の母、とまでは言わないが
要するに悩まないと何も学べないのだ。
しかしながら昔と比べて、その悩みの種が年々広がってきている。
年輪に例えられるかもしれない。
幹は最初は細い。
それが大樹になるにしたがって、どんどん直径が広がっていく。
人で言う年輪は、最初は範囲が狭いが歳をとるにつれてその幅がどんどん幅が広がってくる。
さて自分はどこまで年輪を広げていけるかな。
悩むことが嫌いな人も居るだろう。
でも、なぜ人は考え、悩むのかという根本を考えて欲しい。
それがあってこそ人は大きくなっていけるのではないか。
それから逃げてばかりいてはいつまで経っても幹は太くならない。
その幹に流れる力も器も大きくならないんだ、って。
こんな話を、心の友にしたら
「試練という物は、それを乗り越えられるだけの資質を持った人間にだけ、神が与える物だ」って
本当にその通りだと思った。
悩むことは良い事だと思う。
時には自分からリスクを背負い込んで悩み、そして考え何かを学び取ることも必要だと思う。